令和元年6月1日、2日。
例年薄茶でしたが今年は濃茶を用意します。
なぜ、濃茶をお出しするのか?

本大茶会には中国茶の方が多く出店されますが、その中国茶は同じ茶葉で何服も飲めるところが魅力の一つです。
一方で抹茶は一服限りです。
なぜ抹茶は一服だけなのか?
そこを少し考えてみたいのです。
実際問題として抹茶は二服も三服も飲めないという現実はあります。
でもそれだけでしょうか?
茶の湯草創期。今でいう濃茶、薄茶の区分は当初からありました。
そして、茶の湯草創期は覆下栽培の発生時期に重なります。
覆下栽培とは茶の木に覆いをして直射日光が当たらないようにする栽培方法です。そうするとお茶が苦くなりません。
この覆下栽培で得られた貴重なお茶、日常では接することのないお茶。
その珍しい一服を飲むことが茶会成立の大きな要素でした。
手間をかけて栽培した貴重なお茶ですから高価であったと推測されます。
その点では現代でも同じです。
ましてや抹茶は茶葉をそのまま飲んでしまう飲み方です。
この大切な抹茶を一服飲みに行く。
これが今の茶道につながる原点ではないでしょうか?
そして、この大切な抹茶は今、我々がいう濃茶に近いものと考えます。
さて、中国茶の出店が多い本茶会で抹茶の特徴たる一服を用意します。
ここまで語ればその一服は濃茶でなければなりません。
そして、せっかくの濃茶となれば御菓子だけではなく何か用意したい。
軽い食べ物、軽点心も用意いたします。
軽点心、一献、御菓子、そして最後に一服の濃茶を。
皆様のお越しをお待ち申しております。
参考図書・・・神津朝夫 茶の湯と日本文化(淡交社)